14時46分、今年はウッドデッキで次女を抱きながら、息子に絵本を読みつつ、長女のおままごとの相手をしていた。
あの日のことはすごく鮮明に覚えている。
息子が実家でお昼寝をしたから、長女とふたりで駅まで出掛けた帰り道、震災が起きた。
大通りに出ると停電で信号は消えていて、いつもと全く違う景色に見えた。
コンビニの店員さんがラジオを持って、「震度7だって!」と話すのが聞こえて、携帯も通じなくて、不安そうにする長女と強く手を繋いだ。
息子を抱くおばあちゃんに会えたとき、安堵で力が抜けて涙が出た。
長女のクラスのお友だちのおばあちゃんは、原発事故の影響で震災後に避難してきたそうだ。
住み慣れた地に帰りたいけれど帰れないと懇談会で話をしてくれた。
当たり前なことなんてない。
浅はかな言葉かもしれないけれど、私が震災で痛感したこと。
それまでは自分の日常に甘えていた。さらに、充分なはずなのに欲深くもっともっとと願っていた。
震災後、本当に大切なものや欲しいものは何かが明確になって、私のいる場所で私なりに出来ることを探し続けていこうと決めた。
だから洗濯や掃除をして、ごはんを作って、こどもたちと遊ぶ。
この何より有難い普通の一日に感謝を込めて暮らす。
昨日も今日もこれからも。
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